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認定者インタビュー「星野果樹園」

2019春認定 星野果樹園インタビュー

2019年9月30日 [お知らせ] [minoru]

独立して生活ができる土地と仕事を求めて

富良野市山部で約2000株のブルーベリーと役2000株のハスカップを育てる星野果樹園。

園主の星野修司さんは、元々、厚岸出身で高校卒業後に東京の企業に就職。

その後、結婚を機に富良野へ移住し、就農をしました。

 

東京での生活は「仕事は面白かったが、一生住むところじゃ無いかも…。」と振り返る星野さん。

実は、新生活の拠点に富良野を選んだ理由も「たまたま知り合いがいたから」というものに加え、農業に関しては全くの素人からのスタート。

そもそも、移住当初は写真館に就職し「独立できるスキルを身に付けて、気に入った定住地を探すまでの仮住まい」という感覚だったそうです。

 

しかし、日々の仕事を通して富良野の自然や風景に触れていく内に、その魅力に引き込まれていき、いつしか「この素晴らしい景色を作っている畑に関わる仕事=農業がしたい」と思うようになっていきます。

 

現在は、星野さんは果樹園の管理を行い、奥様が加工品の生産を担当。

さながらサファリパークのような果樹園で、良くも悪くも豊かな大自然と共存しながら、夫婦二人三脚で運営を行なっています。

(キツネやタヌキ、ウサギ、シカは珍しくもなく。たま〜に熊も出るそうです…。)

 

毎年1年生の気持ちで強すぎるこだわりはもたない

写真館の仕事を辞め、就農する事を決めたものの、問題は山積みでした。

まず最初に直面したのが「奥様が賛成しなかった」という事に加え、就農に選んだ品目のブルーベリーが当時の「農協取り扱い品目に無かった」などが挙げられます。

 

そのため、基本的な農作業から販売ルートの確保まで自分で行うことが前提となり、何もない状態から試行錯誤を繰り返す事になりました。

最初は、諸先輩方の栽培や経営手法を真似するところからはじめましたが、気候や土地が変われば結果が違ってくるのは当然の話。

そこで「何でも取り入れるけど、富良野に合わなかったら止める」という環境に合わせた柔軟に対応する大切さを痛感しました。

 

そのため、農業に関する知識と技術はほぼ独学で取得。

実際、天候も果樹の状態も毎年違うため、去年は上手くいった手法も、今年も同じように上手く行くとは限りません。

日々変化する天候や果樹と常に向き合い、「毎年、1年生の気持ちで果樹と向き合っている」と語る星野さん。

「果樹と共に成長させて貰っている」。

農業未経験の状態から始めたからこそ、その言葉を強く実感させられます。

 

取引量と収穫量のジレンマ

就農当初、ブルーベリーは農協取引品目に無かったとはいえ、人気の出る兆しはありました。

実際、この読みは当たり、就農開始後、数年で道内だけでなく本州の有名菓子店からも取引の依頼が直接来るほどになりました。

星野さん自身も当初は「ステータス作り」を意識し、実績作りのために販路の拡大を考えていました。

 

しかし、本州との取引となると「安定した生産量と出荷量の確保」という問題が出てきます。

確かに、単純に作付け面積を増やし、生産量を上げれば取引量も増えます。

しかし、経営的にはステータスも大事とはいえ、それをする事で生産設備や生産者本人の限界を超えては、品質に影響が出る事は避けられません。

また、果樹は植えてから収穫が出来るまで時間がかかる作物なので、急に来年分の増産を要求されても応える事は不可能です。

 

結果、本州との取引は確実に収穫できる見込み量に限定され、余剰になった果樹は販路がないため、処分をするか自家消費をするしかありませんでした。

星野さん自身も調理に関してはプロではなく、最初は自家用のジャムを作り、せいぜい知り合いに配る程度で商品化については考えてもいませんでした。

 

しかし、このジャムが「市販品とは全然違う!」と評判になり、次第にブルーベリーだけでなく加工品のジャムも問い合わせが増えるようになっていきました。

 

余計なことをしない、余計なものを加えない本物の味

星野果樹園のジャムの特徴は「余計なものが入っていない」というとてもシンプルなもの。

実は「ブルーベリー」と一言で言っても様々な品種があり、生産される環境や収穫時期によって味に違いが出てきます。

その時期に応じた果樹を最適な味になるようにブレンドして作る事で「生産者にしか作れない」という強みを最大限に活かした味になっています。

 

今後の展望に関しても、星野果樹園としての全国流通や販路拡大に関しての考えはなく、品質を保ちながらの量産は、設備や人間的に限界がある…と正直な気持ちを語っていました。

ただ、同じように生産者が直接加工品を作る活動が広がることによって「富良野」というブランドが全国に広がることに関しての希望も強く、これからもメイドインフラノへの活動は積極的に参加したいと語っていました。

 

星野さん自身も、山部での生活を東京にいた頃と比べて「余計なものが無いシンプルな生活環境。だからこそ、ひとつのものに集中できるので楽しい」と言っています。

その人柄や考え方も、果樹やジャムの味に大きく影響をしていると言えるでしょう。