認定者インタビュー「菓子司ふらの一久庵」
2018春認定 菓子司ふらの一久庵インタビュー
2018年10月17日 [お知らせ] [Made in Furano 事務局]
70歳を超える現役職人が注目した食材は「水」だった。
富良野の菓子業界の歴史を語る上で欠かせない「菓子司ふらの一久庵」代表の山川氏は74歳(2018年現在)を超えてもなお、現役の職人としてお菓子を作り続けています。
一久庵として創業してから38年ですが、それ以前の期間を含めるとキャリアはなんと約60年。笑顔で「この道しか知らないからねぇ…。」と語りますが、その言葉の裏には富良野の菓子業界の黎明期を支え、今もなお進化を続ける職人としての姿勢が表れています。
今までは無理に富良野の地産食材にこだわる事なく、そのお菓子に合う最適な材料を選んできました。しかし、ふとした事がきっかけで「富良野の水」に注目をするようになり、これが新たな商品を作り出す事に繋がりました。
水はお菓子だけでなく、すべての食べ物の基本となる材料。いま改めて「水」に注目した背景には、これまで積み重ねてきた知識と経験だけでなく、職人としての純粋な好奇心がありました。
富良野の菓子業界を開拓した草分け的存在
山川氏は中学校を卒業後、すぐに芦別にあった菓子店へ入社し菓子職人の道に進みます。そこは和菓子だけでなく洋菓子やパンも作る店だったため、職人としての基礎を磨くには最適な環境でした。
当時は現在のような専門学校があるわけでは無く、またインターネットを使って簡単にレシピを調べたり、ワンクリックで日本各地の食材が手元に届く時代ではありません。連日、朝3時に起きて先輩の職人達と寝食を共にしながら技術や知識、職人としての心構えを文字通り身体に覚えさせていきました。
修行期間が6年目になった時、奉公先が代替わりをする事に。諸先輩と一緒に店を継ぐ選択もありましたが、これを契機に職人として独立する道を選びます。
その後、縁あって富良野にある菓子店へ。
ところが、当時の富良野は量り売りの駄菓子屋が主流で、山川氏の腕が活かせる環境ではありませんでした。店内で作るお菓子と言っても簡単などら焼きが精一杯。「このままではいけない」と思い立ち、まずは勤め先の社長と一緒に「富良野の銘菓」を作り出すための環境づくりを始めました。
生クリームを使ったケーキも旬のフルーツを使ったスイーツも十分に無い時代。レシピ開発や材料・資材の購入先も探す前に、厨房設備をはじめとする環境作りから始める必要がありました。もちろん、富良野では前例がないため一つ一つを自分たちで調べて作業を進めなければいけません。「富良野らしい銘菓」のイメージを少しずつ膨らませると同時に、それを実現させる工場を作るため無我夢中の日々を過ごしました。
経験を積み変わった技術と変わらない好奇心
富良野の菓子店に就職して14年。ついに山川氏は独立を決意し「一久庵」を立ち上げます。それ以降も次々に新商品を開発し、銘菓「へそじまん」を始め、独自のワッフルやソフトクリームを発売し、地元でも人気店として知名度を上げていきます。
また、オーダーメイドケーキは全国から注文が届き、遠くは九州にもファンがいるほど。山川氏は「職人だから」と言って肩を張るタイプではなく、新しいものでも品質が良く興味を引くものであれば、積極的に取り入れて商品開発に活かしてきました。
そんなある日、所用で東京に行った際に羽田空港で興味を引く行列を発見。聞けば「評判の良いわらび餅がある」という話でした。
もともと好奇心が旺盛だった山川氏は「そういえば、北海道でわらび餅って聞かないな…。」と思い立ちます。富良野に帰るとすぐに業者に問い合わせ、材料が仕入れられる事を確認。早速、試作品を作ってみる事にしました。
ところが、レシピ通りに作ったはずの試作品は思ったより美味しく無く、特に口当たりに違和感を覚えました。研究を進めるうちに、わらび餅は材料となる粉だけでなく「水」が味を大きく左右する事に気が付きます。
そこまで来ると話はスムーズに進み、娘さんのアイディアをヒントに「原始の泉の湧き水」を使用。するとイメージに近いわらび餅が出来上がり、一気に新商品の開発が進みました。
生涯現役を貫く職人としての生き様
しかし、イメージに近い味を作れただけでは満足できなかった山川氏。さらに改良を加え「どうせなら富良野っぽいものにしよう」と、ヘソをイメージしてわらび餅の中央に餡子を入れてアレンジを加えます。口当たりもスタンダードな柔らかめのわらび餅に比べて歯ごたえのある硬さにし、徐々にイメージ通りのわらび餅を完成させていき「へそもち」と命名しました。
一般的には70歳を過ぎればそろそろ引退して代替わりを…と考えてもおかしくはない年齢です。しかし、当の本人はそんな話に興味はない様子で次々に新しいアイディアを考え、商品化を進めています。今後の展開は?の質問に対しても、即答で「毎日そればっかり考えている!」と生涯現役を通す宣言とも取れる返答をする山川氏。
何もなかった時代から一つ一つ富良野の菓子業界の基礎を作り上げ、今もなお腕を磨き続ける職人の姿勢に、Made in Furanoの原点を感じました。